北川さんの曲

歌詞の意味を考察|ゆず『SUBWAY』

 『SUBWAY』とは、2023年6月21日リリースされた配信限定シングル。『YUZU TOUR 2023 Rita -みんなとまたあえる-』で初披露されました。Subway・地下鉄を通し、迷いを抱えている様子が表現された一曲です。今回は、その歌詞から曲の意味を考察したいと思います。

目次

  • 身の周りで起きたことに対して、実感が湧かない?
  • 「シアワセ」が何かは分からない
  • 「キミに会える」が意味すること
  • 「臆病」の肯定的なニュアンス
  • 2番ラスト「someday」の効果
  • 「地上の光」とは
  • 「本当の自分」と向き合い、そして
  • まとめ

身の回りで起きたことに対して、実感が湧かない?

ここはまるでYouTubeで見た 都市伝説の地底世界みたいだ

ゴーゴーと響く列車の地響き 吹きあがる風がやけに生ぬるい

SUBWAY/ゆず

 主人公は「ここ」、つまり地下鉄の駅の中にいるようです。地下鉄は普段の私たちの生活の中でも非常に身近な場所であり、列車の地響きも、生ぬるい風も、簡単に思い起こすことができますよね。そんな場所にも関わらず、「都市伝説の地底世界みたい」と、どこか現実離れしたものに例えられました。

 したがって、上にあげた歌詞全体では、”身の回りで起きたことに対して実感が湧かない様子”が表現されていると考えられます。

「シアワセ」が何かは分からない

手にしたものひく失ったものは かけがえないものか掛け違えたものか

そんな事よりこの一瞬シアワセとやらを コーヒーと共に啜っていよう

SUBWAY/ゆず

 「手にしたもの」「失ったもの」で、「もの」と平仮名で表記されていることから、物資だけでなく、地位や権力、人間関係なども含めてのものであると捉えます。人生を歩む中で、地位や権力を手にしたり、剥奪されたり、出会いがあれば別れがあったりしますよね。一度手に入れ、まだ自分に残されている、ありとあらゆるもの。これについて、「かけがえないものか掛け違えたものか」と疑問を抱きます。

 しかしその直後、「そんな事よりこの一瞬シアワセとやらをコーヒーと共に啜っていよう」と続き、先ほどまでの迷いが「そんな事」と一蹴されているのです。一体、何故でしょうか。主人公にとって、そんなにこの「シアワセ」が大切なのでしょうか?

 一見、迷いを振り払うような「そんな事より~」の歌詞ですが、よく見ると「シアワセ」とカタカナで書かれていたり、後に「とやら」がくっついたり、 ”味わう” や ”かみしめる” ではなく「啜る」という言葉が選ばれたりしています。この言葉選びは、主人公自身、今置かれている状況が果たして幸せか確信が持てていないことを示唆していると考えました。

 また、「掛け違え」といえばボタンですが、ボタンの掛け違いは最後のボタンで気づくことから、物事の最後になってようやく気付くような間違いをするという意味でも使われますよね。今かけたボタンだけを眺めていては、掛け違えには気づけません。つまり、「この一瞬」に目を向けるだけでは到底上で挙げた疑問には答えられそうにないのです。

 そんな、確かな答えが見当たらない、なんとも言えない心細さのようなものを表現したのが、ここまでのひとかたまりの歌詞です。

 そして、疑問が解決されそうにない状況に関わらず、迷いを「そんな事」呼ばわりした理由をひも解くカギが、この曲の軸ともなる次の歌詞にあると考えました。

「キミに会える」が意味すること

もうすぐキミに会える Subway

SUBWAY/ゆず

 この部分はメロディーと伴奏が10度でとられており、明らかに他より強調されています。 

 迷いを表現し、一蹴した直後に「もうすぐキミに会える」と歌われることから、 ”キミに会うことこそ、その迷いの答え合わせになる” と主人公が考えているのではと、ここで仮定しておきます。

「キミに会える」ことは、迷いの多い現状を打破できる鍵を握っているのです。

 その後「Subway」と続いて1番が終わります。Subwayについては、曲の始まりで主人公の現在地であると分かっていますが、「もうすぐキミに会える Subway」と続けて表現されることで、”キミに会える場所としてのSubway”と捉えることも可能だと考えました。

 すると、想定できるのは、主人公が地下鉄にて「キミ」がやってくるのを待っているというシチュエーションです。

「臆病」の肯定的なニュアンス

闇の中で手招きしている 慌ててブレーキ踵を返す

本音を押し隠し善人であろうと 倫理と欲望の間でもがく

SUBWAY/ゆず

 ここから2番の歌詞に突入します。「善人」であるために本音を隠したと読み取ることができ、もしもブレーキが利かなければ、闇の中に落っこちてしまうだろうという危うさを感じさせる歌詞です。

扉を開ければ並んだ靴が 薄明りに独り布団にくるまる

失って初めて大切だと気づきたくない 臆病に日常にしがみつくんだ

もう少しだけそばにsomeday

SUBWAY/ゆず

 「扉を開ければ並んだ靴が」という歌詞から同居人の存在が示唆され、一人ではないことが分かります。これに続く歌詞に「独り」という単語が登場しているので、この一文は精神的な孤独についての言及であると考えました。

「失って初めて大切だと気づきたくない 臆病に日常にしがみつくんだ」からは、多くのことが推察されます。

  • 「日常」=扉を開ければ並んだ靴があるが、薄明りに独り布団にくるまるような毎日。
  • 「日常」が大切かどうかは、主人公も分からない。
  • しかし大切かもしれない「日常」を失いたくはない。
  • このスタンスを「臆病」と表現している。

 主人公にとって「日常」を手に入れるのは簡単なことではなく、もし失ってから大切だと気づいた場合に再び日常を取り戻す、またはそれに代わるものを手に入れることが困難であると考えたのではないでしょうか。きっとまた手に入れると強気になることもできずに「日常」を手放さないでいる様子が、「臆病に日常にしがみつく」と表現されているのではないかと思いました。

 臆病という言葉は否定的な意味で用いられることが多いですが、「慌ててブレーキ」を掛けられたのは、臆病に日常にしがみついたからに他ならないのではないでしょうか。せっかく出てきた本音を押し隠してまで「善人」であろうとするのも、倫理と欲望の間でもがくことができるのも、「臆病」であることのお陰なのかもしれません。

 「臆病者それくらいがきっとちょうどいい」

2番ラスト「someday」の効果

 2番のラストに「someday」と続くことで、1番の「Subway」と韻を踏めるのですが、決してそれだけではありません。切なさを演出する効果があるのです。

 まず、「someday」は英語であるため言葉のもつ温度感が(個人的に)分かりにくかったので、勝手に日本語で歌詞を繋げてみました。「いつかもう少しだけそばに」。まるで、今はまだできないことを暗示しているように思いませんか?直前の歌詞で「しがみつくんだ」と、自分に対する宣言のような言葉遣いをしていることを念頭に置くと、さらに切なさがアップします。

 また、言葉の最後に「someday」、つまり「いつか」という単語を登場させることで「じゃあ今は?」と聞き手に疑問を持たせることができます。

 そして、主人公の「今」に対する関心を高めたところへ、次の歌詞が流れてくるのです。

今はまだ地上の光 あまりにも眩しくて

SUBWAY/ゆず

「地上の光」とは

これまでの詩の内容、そして「あまりにも眩しくて」という表現から、

地上:自分が評価される場所のメタファー。

光:厳しい(かもしれない)真実を浮き彫りにするもの。

Subway:そんな地上から隠れた場所。冷たい風は吹かないが、真実も分からない。

地上に出られない(地下鉄にいる)自分:迷い、ためらいのある自分

と考えました。

ここはまるで昼も夜もない 白夜のように照らす蛍光灯

どうしてそこで立ち止まっているの 何にそんなに急いでいるの

SUBWAY/ゆず

 「どうしてそこで立ち止まっているの」と、疑問が投げかけられます。一体、誰から誰に?

 一つめに考えられるのは、他人(誰か)から主人公へというパターン。「そこ」という表現をしていること、そしてこの曲の主人公がまさに「立ち止まっている」存在であることが、そう考えられる理由です。この場合、後に続く「何にそんなに急いでいるの」は、主人公からその人へ投げかけたものと解釈できます。

 二つめとして、主人公の自問自答が挙げられます。自分を客観的に見て、なぜ立ち止まっているのか考え、そんなことを考えた自分に対してさらに疑問を抱くのです。「何にそんなに急いでいるの」と。私個人的には、後者が自然なのではないかと思っています。なぜなら後に続く歌詞で、自分自身と向き合っているからです。

「本当の自分」と向き合い、そして

かぞえきれない程にあやめた 本当の自分の亡骸達を

背負いこんだ重荷誰もが引きずり歩いてくんだ

見えない明日へ それでも明日へ

SUBWAY/ゆず

 ここにきて、「本当の自分」をあやめていたことが判明。2番のAメロの歌詞「本音を押し隠し善人であろうと」から考えると、「本当の自分」は善人ではないと、主人公自身に判断されたのかも知れません。「あやめた」という言葉を、例えば ”脳内会議でいわゆる「本当の自分」を、打ち負かした” というような意味と捉えます。考えを改めた、と言い換えられるかもしれません。しかし「あやめた」と強い言葉が使われたことから、きっと改める前の考えはボコボコにやっつけられ、二度と出てこられないようにされているのではないでしょうか。こうすることで、晴れて主人公は自身にとっての「善人」に近づくのかもしれません。

 「背負いこんだ重荷」「引きずり歩いて」という表現からは、「本当の自分」を打ち負かすまでの過程・考え方を忘れたりせずに生きるのだという思いと、それは決して容易くはないという様子がうかがえます。

 また、「見えない明日へ」から、主人公自身、今の自分のあり方が正解なのか分かっていないと推測できます。いくら頭の中で考えても、知っていなければ分からないことがあるように。だから「それでも明日へ」と、何かに耐えながらも時を過ごしてゆくのでしょう。キミに会い、答え合わせをするために。

もう何度目かのベルが 聞こえる

もうすぐキミに会える Subway

Subway

Subway

SUBWAY/ゆず

 ベルが聞こえ、列車が来たところでこの曲は終わりです。

 何度目もベルが聞こえる時点で、主人公は既に何本もの列車を見送っていると考えられます。駅に到着した列車に乗るわけでも、改札を出るわけでもなく、駅にずっととどまっているのです。

 キミを乗せた列車をずっと待っており、その時はもうすぐ…。「もうすぐキミに会える Subway」から、そんな様子が想像できませんか。

まとめ

 迷いやためらい、そして希望のようなものが、地下鉄を題材とした隠喩により表現された一曲。歌詞一つ一つを取って考察しましたが、簡単に言うと以下の通りです!

 日々を過ごしていく中 ”本当にこれでいいのか” と疑問を抱いた心中を、地下鉄にいる様子に例えます。自分から地上に出れば答え合わせができるかも知れないが、光が眩しすぎて踏み出すことができなかったため、ホームで立ち止まっている。多くの列車が行き来する中、闇へ手招きされることもあったが、主人公は臆病であったっためそちら側へ飛び降りることなく、何とかこの現状にしがみつくことはできました。キミを乗せた列車が来れば、耐えしのいだ毎日が報われるのかもしれません。

 以上、”ゆず『SUBWAY』歌詞の意味から考察” でした。歌詞以外にも、曲の構成、伴奏、MV、インタビューやライブなどからこの曲を知れると思いますので、ぜひ色々な形で楽しんで下さいね!