「言葉にできぬ悲しみ」二通りの解釈を紹介|ゆず『はるか』
『はるか』の歌詞「言葉にできぬ悲しみ」は、以下の二通りの意味にとることができます。
- 形容しがたい悲しみ
- 言えないことの悲しみ
今回の記事では、それぞれのとらえ方について見ていきたいと思います。
微笑む瞳 なぜに泪が溢れるの
言葉にできぬ悲しみ それでも僕らは生きてゆく
『はるか』/ゆず
形容しがたい悲しみ
一つ目に紹介するのは、”言葉にできない程の悲しみ”という意味での捉え方です。悲しいことが多すぎたり、過去にない悲しみに遭遇したり。自分自身でも、何が何だか…そんな様子が伝わってきませんか?
『カナリア』の歌詞を借りて例えると「声にならない 想いが溢れ泪は流れる」の、悲しみ限定バージョンです。とてもつらい。
言えないことの悲しみ
二つ目は、言えないことが悲しいという捉え方です。
『はるか』を作曲した北川悠仁さんは、この曲の制作以前にアフリカへ行っているのですが、それについてのインタビューで以下のような発言をしています。
「難民キャンプでエドマという少女に出会ったんですが、その子が歌を歌ってくれたんですよ。歌のプレゼント。政治的にも厳しい状況で、言論の自由を奪われていて、子供であれ、誰であれ、あまり歌っちゃいけない歌だったらしくて、その女の子は何気なく歌ってたけど、周りは大層な感じで。」(別冊カドカワ総力特集ゆず2009 p33)
この発言から、言えないことの悲しみを歌ったとも考えられます。日本では言論の自由こそ奪われてはいませんが、立場上言えなかったり、なんとなく言ってはいけない空気があったりと、重なる場面が日常に潜んでいます。
歌詞からは恐らくどちらの意味にもとることができ、もしかすると狙ってこのような表現になったのかもしれません。あなたにはどう聞こえますか?ぜひ聞いてみてくださいね!